主に委ね、十字架の道を歩む!(谷本美幸)
今日、今からお話することは自分自身が、主イエス・キリストと本当に出会ったか。ということを毎日確かめながら歩む私の報告をお聞き頂くものです。 少し前までは、イエス様が近付かれたり離れたりと何とも落ち着かないものでしたが、今はこの胸に共にいて下さることを確信しています。
先日、旅行に行った時、セーヌ河沿いの見た目に素晴らしい古い教会に日曜日の礼拝案内があり、日本語の礼拝があると記してありました。かつての自分なら、どんなメッセージ?と聞いてみたいと思ったでしょうが、本当に心揺さぶられるかなと。本物?と思ってしまうのです。その本物を学ぶ旅を私たちは今、この僅かな肉体の生涯を通してしているのだなあと思った時でした。
以前の自分は試練にあって人を恐れる時
イザヤ書43:1~2
だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
この御言葉で勇気付けられ、また
エレミヤ書33:3
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
人間の考えの及ばない何か不思議や希望があると、それが神の存在であると信じていたのです。御言葉のつながりも何もなく、ただ励まされる言葉にしか過ぎないものでした。そもそも聖書が順番に歴史の年表のように思っておりましたので、聖書が車輪のようにつながっていることを知った時から間違った感覚もどんどん崩されて行ったのです。どの箇所もイエス・キリストであることも納得できる訳です。
さて人は誰も皆、神を求めているのでしょう。祈ったら結果が欲しくて、そして自分の求めたことが叶った時が幸福だと思ってきました。しかし、それはほんの小さなことしか求めておらず、この世のしるしを求めていたのです。4年くらい前からは自分の霊的な土壌を掘り返され続け、前とは違う土になって行くことを望む歩みです。
そして、イエス・キリストと一緒になりひとつとなり救われた者、その観点から聖書を読む、それがクリスチャンとしての始まりなのだと知りました。ひとつになること、ユニオンクライスト(Union Christ)になることは、頭で考えるたやすいことではありません。それは自分が何とかしなければならないと考えるからでしょう。
ローマ人への手紙11:17~18
もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
頑張って自分でなるものではなく、支えて下さる根 イエス・キリストを知り信じること。不信仰になっても神は再び継ぎ合わして下さるとおっしゃっています。しかし患難が来ると絶望してしまう自分ですが、神様による患難は持つべき希望に導いて下さるのです。「私を見なさい責任取るから」と言って下さる主から慰めをも共に下さっていることを心から信じること。そのように変えて頂きたいのです。
ローマ人への手紙8:38~39
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
また私は闇そのものです。
創世記2:18
神である【主】は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
私たちは神様と別々だった存在をひとつとして下さろうとされました。かつては人間の目から判断する善悪の価値観を持っていました。つまり、良いは良いで、悪いは悪いと思っていましたが闇の中に光が入った様に、闇であるからこそ光が分かる。つまりどちらも要るものということです。
ヨハネの福音書1:4
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は命そのものであり、闇はその光を明らかにするもの。その光の存在を学び、深く知り続けて行きたいです。人間の欲、即ち闇に下さる天のえさを求めて神様自分の意志ではなく、あなたが引っ張って下さいと願うばかりです。
今、ヨガに通っていますが、吸う息と吐く息をひとつとして生命力を作っていると言うことですが、本当に全てのことが1+1=1であることを思うのです。相反する2つのものはペアで 1 であること神の用意されたものは全て素晴らしいということです。したがって、どちらも受け入れて生きて行ける様にと思うのです。
お父さんが創られたこの世に感謝してお父さんの目を通して見ることが出来ます様に!
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