「証」渡利秀子さん
「証」
人の作った組織や規則に縛られない、正に天の教会、神様の教会に、今やっと住まわせて頂くことが出来ました。いえ、神様が私の内に来て下さりUNIONになったのです。
私はかつて「神様と私の間に組織というものが入るなら教会員としての籍はいりません」
と以前の教会の牧師に言ったことがあります。
人間的には何と失礼で、高慢なことを言ったことでしょうか。
しかし「私達の国籍は天にあり」と口で言いながら、実際には会社組織、自治会等の仕組みで成り立ち、組織化した教会の現実。
総会などで心痛くなるような、耳をふさぎたくなるようなやり取り。
私にとって神様に出会った喜びも束の間、その現実に打ちのめされる思いがそこにありました。周りは何も言わなくても、教会の方針や規則に従わなければ不信仰とも取られるような空気。
ガラテヤ人への手紙3:3
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
聖書の言っている本当の教会とは何なのだろう。
このようなものではないはず。と聖書の本当の真理を探し求め、心は葛藤し、あげくの果ては自分さえ楽しく過ごせれば良いと、放蕩する年月を過ごしました。
しかしそのような私をも神様は私を捉えていて下さり、悶々とする日々の中で
神様は今の牧師、宣教師でもあるTravis Ishii Koh牧師に出会わせて下さったのです。
聖書の一から学ばせて頂ける時と場所を準備、与えて下さいました。
そして、これまでの年月の全ては無駄ではなく、現在の教会がどのようなものであるか、自分がどのような者であるか、見ること、知ることが必要な年月であったことを知りました。
創世記 1:1
初めに、神が天と地を創造した。
聖書の初めのこの御言葉から今までの私の理解は全く違い、ただ驚きでした。
教会とは何か、生きている意味、あらゆることにおいて霊的な視野からの学び。
まるで大きな扉が開かれていくようでした。
今まで私は、聖書について何も分かっていなかったことを知るのみでした。
全てにおいて知らなかった、分からなかった聖書の奥義が学びを通して開かれて行ったのです。
コリント人への手紙第2 5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
このように聖書には書かれてあるのに、それまでの私は何も新しくなっていなかったのです。自分自身は律法の中にいたことを知りました。
聖書に書かれている御言葉が自分の中で一致していなかったのです。
神様と一つになっていなかったのです。
ですから、自分の力に頼ることしか出来ず、クリスチャンらしく、クリスチャンとして何をするか、何をしたら良いか、善い行いをすることを頭で考え行動に移していたとしか言えません。
自分からの解放。本当にそのことを知った時、自分の努力ではなく神様がそのことを行って下さる。
驚きと感動!そこから始まったのです。
見るもの全てが聖書。生きるそのものが聖書。その感動と喜び。
また苦難も全てが良しであること。今まで通ってきた道も全てが今を知るためであったことを。
やっとスタートしたのです。
これからの与えられている人生、神様の御手の中にある自由と喜びの中で、私のうちに神様がどのような栄光を表して下さるか、全てを委ね歩みたいと思います。
最後に以前の私のような思いの中におられるクリスチャンの方々が一日でも早く、一人でも多く、あらゆる束縛から解放され御手の中の自由をえられることを願っています。
全てを神様に感謝いたします。
渡利 秀子
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