信仰の出発点 (西田博之)
2019年7月7日 主日礼拝
聖書箇所 ヨハネ15:18―21 「信仰の出発点」
イスラエル人はイエス・キリストを殺すほどに嫌がった。それはイエスがイスラエル人と同じ社会性、同質性を持たず、命を懸けて守っている自分たちの律法信仰を否定し、罪を明らかにしたからです。イエスが来られる前は、同じ社会性、同質でしたが、イエスによって2つに分かれてしまいました。
今もこの形のままです。世に属する者とイエス・キリストに属する者(クリスチャン)です。クリスチャンは聖霊様が中に来られた時から、世の考え方ではなくイエスの考え方を持つ者に変えられるのです。誤解してはならないことは、イエスは世を敵とせず愛されたのに、世が一方的にイエスに敵対したことです。今も私たちの罪が神様を嫌がり敵対するのです。世にクリスチャンを置かれたのは、クリスチャンによって世の本質、悪(罪)を明らかにするためです。
イエス・キリストは、クリスチャンだけでなく造られたもの全ての主です。全てのものを審判(分ける)されるからです。クリスチャンとは聖霊様の助けによって、自分が罪人であること、イエス・キリストを殺した者であることが分かり認める者です。自分で解決できない大きな罪の助けを神様に求める者です。そしてようやく信仰の出発点、イエス・キリストの血が流れるスタートラインに立つのです。クリスチャンはイエス・キリストと同じ道を歩むのです。
聖書箇所:ヨブ記1:12、ローマ9:13-14、ピリピ3:17-19、黙示録11:10、マタイ5:11-12、ゼカリヤ12:10、使徒の働き2:12
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