イエスが主でありキリストである (西田博之)
2019年6月16日 主日礼拝
聖書箇所 ヨハネ15:14 「イエスが主でありキリストである」
イエスによって友とされた者たちのみに世々にわたって隠された奥義、すなわち秘密が明らかにされました。その奥義とは、イエスが主であり、キリストであるということです。友とされていない者には今も隠されています。
奥義とは、主は「王」のことです。イスラエル人にとって王は神の代理者、すなわち神様なのです。預言者や先生という自分たちが知らないことを教えてくださる方ではなく、信じる対象である方なのです。
キリストとは「メサイヤ」、神様が全てを委任した方なのです。人ではなく神様が、大祭司であり預言者とし承認された方なのです。このようなイエスを私たちは十字架につけました。
ではなぜ、イエス・キリストを十字架につけたのでしょうか。殺人を犯した者は罰を受けます。犯した罪の助けを求めるようになります。神様に助けを求める者にするためです。それほどの犠牲を払っていただいて探し出された者です。この奥義は人の力、知恵では見つけることができません。
聖書箇所:黙示録11:1-2、ゼカリヤ4:6-9、ゼカリヤ4:1-3、黙示録1:20、ローマ12:1-2、ヨハネ4:23、使徒の働き2:33-36、使徒の働き2:36、コロサイ1:25-27、マタイ16:15-16
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