クリスチャンの証 (西田博之)
2019年5月26日 主日礼拝
聖書箇所 ルカ6:43-49 「クリスチャンの証」
イエス・キリストを信じた人には、必ず自分とイエス・キリストの個人的接点、個人的な経験があります。
自分の中におられるイエス・キリストを証するのです。壇に立って自分の特別な経験や華々しい変化を語り誇ることではありません。証をすることは良いことですが、内容が全く違うのです。教会で行われている証は愛の塊であるイエス・キリストを証せず、感動的な話、人間的な愛、経験したことを誇らしげに話しています。証の根幹は聖書でなければなりません。
聖書のたとえで言えば、すべての人は罪人であり、悪い木です。悪い木は悪い実しか結べません。良い木は罪のないイエス・キリストだけです。良い木は良い実しか結べません。悪い木が良い木によって覆われたことで良い実だけ結ぶのです。しかし、忘れてはいけないことは覆われても悪い木の本質は全く変わらないことです。良い木にはなれないのです。実とは何ですか。口から出る言葉です。良い実を結んだと認めてくださるだけです。だから感謝しかないのです。
聖書箇所:ルカ6:43-49、第二コリント11:4、マタイ7:15-16、テトス1:15-16、ガラテヤ1:6-10、第一コリント4:9-13、第二コリント6:3-10、第一コリント1:22-24、ルカ6:43-49、ルカ6:46、マタイ5:21-22、黙示録3:17、ヨハネ9:39-41、マタイ15:8-9、ヨハネ8:44-47、ルカ6:45、ローマ3:10、ローマ3:23、ガラテヤ3:22、ローマ11:32、ヨハネ11:1-5、使徒の働き3:12-16、第一ペテロ4:10-11、ルカ6:46-49、マタイ7:24-27、コロサイ1:13
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