荒野で生きる道 (西田博之)
2019年5月12日 主日礼拝
聖書箇所 ヨハネ15:16-17 「荒野で生きる道」
庭信仰はエジプトでの生活と言うことができます。聖所信仰を知らない闇の生活です。自身が作った枠組みの中で自身が得た知識で全てを判断する生活でした。庭から聖所に行くためには血が必要です。エジプトでから荒野に出たのは鴨居に血を塗って災いを免れた者でした。荒野は自身の判断では何もできないところでした。食料、水、前進すること、留まること、つまり全てを神様に委ねる生活でした。聖所信仰、荒野での生活は新しい人生、光の生活ということができます。イエス・キリストが十字架で流してくださった血と、助け主である聖霊様をいただいて十字架を乗り越えさせてくださいました。十字架で自分の歴史が終わり、ユニオンクライストの生活がスタートするのです。しかし、新しい人生が始まっても肉を持っている私たちは罪を犯し続け、何度でも自分の枠組みを作ろうとするのです。私たちの罪の本質は変わりません。その枠組みを神様は粉々にされて導かれます。ただイエス・キリストの血が私たちを覆ってくださり、神様から私たちを見えなくしてくださるのです。神様に全てを委ねて人生を歩み、めぐみの広さ深さ大きさを知り、やがて他の人に分かち合うことができますように。
聖書箇所:ヨハネ1:8、ローマ8:1-2、エペソ4:22-24、出エジプト16:19-20、ローマ1:17、ハバクク2:1-4、ローマ11:33-36、エペソ3:14-19
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